小さな町へ
2005年4月から1年間カナダのクレストンという町で1年間過ごし、2006年4月に帰国。 クレストンでの生活、帰国後の生活など。
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帯広への道
こんにちは。釧路もたまに25度くらいの暑い日がありますが、昨日と今日は18,9度くらいで過ごしやすいです。本州はくそ暑いんでしょうねぇ・・・

木曜日に帯広行ったら30度くらいで暑かったー。釧路と帯広では10度近く最高気温が違ったりします。その暑さのせいで、お父さんはちょっとばて気味なのか眠ってた。声をかけたらうっすらと目を開けたけど「お前らか」というような感じで、また眠りについてました。音楽でも聴かせてあげようかと思ったけど、その日はやめておいた。

その前の日曜日には、前よりもさらに良くなってるようだった。まぶたも以前より大きく開くようになって、私たちが近くに寄れば目を大きく開け、足元に行くと目線を下にする。声も聞こえて認識できているのか、目の前にデジカメの液晶画面を見せて、画像を見せながら説明してると、じっと見つめてた。なんとなく穏やかな表情だった気がする。

さらに、父の職場の組合から、千羽鶴が贈られていた。それも目の前に置いて見せてあげると、じっと見つめていた。たぶんわかって喜んでいたと思う。
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もう何度も往復している帯広への道。途中の白糠付近の海辺です。
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ここには、野の花が咲いている。先々週はエゾキスゲ。オレンジ色のユリの形に似た花が固まって咲いてた。
先週は深い紫のアヤメ
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帯広近くの農場風景。これがずっと続く。
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ひまわり畑。
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北海道らしい、まっすぐの道。
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明日はいよいよ転院の日!
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転院決定!
ようやく父の転院日が決定しました!
7月31日(月)11時です。
入院してから約2ヶ月、地元釧路に帰ってこられます。

転院までの流れ:(長いですよ)

・入院当初、家族としてはできれば早くに釧路の病院に移送したかった。でも、本人が急性期で加療最中、移送距離も長いことから、医者の判断ではこの時期の移送は危険とのこと。許可が出るまで待つことに。

・1ヶ月間はソーシャルワーカーにたまに相談したり、周囲の人にどこの病院がいいか聞いたりしていた。この時に、病院によっては受け入れを拒否されたり、3ヶ月で退院を要求され転院を繰り返したりする実際の話を聞いて知った。

・6/26、ソーシャルワーカーが、家族が希望していた釧路のA病院に問い合わせてくれた結果、「急性期ではない(治療がない)状態であれば、A病院ではなく、B病院に入院ということになる。」と回答だったとのこと。
A病院は急性期の脳外科治療が中心、B病院は脳外科はあるがリハビリ中心で、老人保健施設とも併設している。家族としては、母もA病院にかかっているしB病院よりも近所にあるのでAが良かったのだけど、仕方ない。一応、他の病院とも吟味して考え、B病院への紹介状作成をソーシャルワーカーにお願いした。また紹介状が出来たらどのような段取りで手続きすればいいかも、B病院と話してくれるとのこと。
医師には、本人の状態は気管切開手術(6/27)後はいつでも転院可能と言われる。

・7/10、ようやくB病院のソーシャルワーカーと面会の約束がとれ、紹介状を持って行った。
病状の確認、職種や健康保険、今後受けられる手当て、家族構成や職種などを質問される。(きちんと医療費が払えるか、面会や世話ができるかの確認か?)
予想はしてたけど、「入院期間は基本的に1~3ヶ月。ずっとここに入院できるということは言えない。ただ次の受け入れ先が無いのに、急に追い出すということはありません。療養型の病院を紹介することになる。」と言われる。「では療養型の病院はどこですか?」と聞くと、釧路の療養型病院のリストをくれた。・・・まだこのB病院への入院すらしていないのに、次の転院先の話をすることになるとは・・・。でも現実は現実。今から考えられることは考えて準備しておかなきゃ。
最終的に入院の決定は医師がする、とのこと。決定したら早くても次週、遅くても7月末までには転院可能であるらしい。帯広の病院のソーシャルワーカーと連絡を取り合って、日程を調整するとのこと。

ちなみに、なぜ入院期間が3ヶ月なのかは、詳しくは調べてないけど、診療報酬の関係があるみたい。3ヶ月以降は国からの診療報酬額を減らされるので、病院としては収入が減ると聞いた。社会的入院や療養型病床数を減らすための制度でしょうか。

・昨日7/25、帯広の病院のソーシャルワーカから電話で、転院日が7/31に決定したと連絡。
入院当初は医師に「救急車で移送」と言われていたけど、改めて確認したら「現在は酸素吸入も外れているので、救急車ではなく、民間の寝台車で大丈夫。」だという。但し、定期的に痰を吸引する必要があるので、看護士1名の付添いが必要。この看護士さんの帰りの電車代を支払う。
民間の寝台車・・・そんなのがあるのね。帯広のタクシー会社を2社紹介してくれた。早速1社に連絡し、予約を取る。この時面白かったのが、最初出たおじさんが「31日、う~んちょっと待って・・・」としぶり気味だったのが、「目的地は釧路」と伝えると、急に色めきたって違う女性に代わって予約取り始めたこと。こりゃおいしい!ってところか?商売っ気が手に取るようにわかって苦笑。
料金は、メーター+1000円(ヘルパー、車両代)。メーターは多く見積もって4万5千円くらいだそう。ストレッチャーで病室まで迎えに来てくれる。家族は一人は車内付き添いで、あとは車で追走する。

当日は、朝早めに母と妹と帯広に向かいます。明日午後も妹と二人で帯広に行くことにしました。
ではまた。
The awesome birthday
昨日はいい誕生日でした

うだうだしていた日中は別として、
午後に珍しく「夕飯に餃子を作ろう!」と思い立ち、どうせだったら妹やおばあちゃんやおばさんを呼んでしまおう!ということに・・・

つまり、自分主催のバースデーパーティー!!
なんとあつかましい!!

さっそく妹に電話。(しかも職場に)
「餃子作るから食べにおいでー。」「やったー。わかったー。」
「ケーキも買っておいでー。」「・・・・わかった・・」
なんとあつかましい!
でもいいんです。あつかましくできる相手、家族なので。

歳の数のロウソク・・・は大変なので、妹が数字のロウソクを買ってきてくれた。ナイス!一番奥にはカレンが送ってくれたバースデーカード
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急に呼び集めたのに、おばあちゃんは靴下、おばさんはワインと作ったおかず、おじさんは後でティーポットを持ってきてくれた。
・・・やってみるもんだ!(あつかましい)

家族に祝ってもらう誕生日なんて、何年ぶりでしょうか。十数年ぶり?
そんなわけで、幸せな誕生日でした。
三十路突入!
いや~、とうとう三十路に突入しちゃいました!

20代最終日の昨日は、日中特に何をやるでもなく、
夕食後、母と二人で1時間のウォーキングをした。

昨夜11時半くらいに、
は・・・20代があと30分で終わってしまうではないか!!」とやっと気が付いた。
そして、やったことと言えば・・・
寝ている部屋の整理整頓。
服や物が散乱していたので、この状態のまま30歳を迎えるのはまずい!!と思い、母も既に寝付いた夜中なのに、がさがさと整理。と言っても、散らかってた物を隅のほうに押しやっただけだけど・・・

29歳から30歳に変わるというのは、なかなかのインパクトだ。とは言え、自分自身や環境に特に変化はない。色んな意味で、0に戻ったという感じ。
カナダに行く前から言ってたけど、「職なし、金なし、30サイ!!」だ。
どんな30代を過ごすのか。スタート地点の今が大切なんだけど・・・
家の中でジャージ着て、すっぴん髪ぼさぼさの、こんな状態でスタートを迎えていて、いいんだろうか・・・

6月中に実家の庭に咲き誇っていたアヤメ。
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目が動いた!
びっくりです。
昨日、病院に面会に行ったら、父のまぶたがいつもより開いている。
半分くらいかなぁ、黒目がほぼ見えるくらい。
そして、眼球がぴくぴくと上下に動いている!!

今までは目もほとんど開いてなかったので、家族一同みんなびっくり。
明確ではないけど、話しかけると一層目が動いている気もした。

今まで常についていた血圧や心拍数などのモニターも外れていたし、気管の管についてた酸素吸入も外れてた・・・。
お風呂に入れてもらったり、手足をストレッチのようにしてリハビリしてもらってるのが良いのかもしれない。あと、親戚が遠くから来たり、会社の同僚が来て話しかけてくれるのがいいのかもしれない。

先週の状態を考えたらすごい進歩だ~。本当に少しずつだけど良くなってきてるんだなぁ。それだけでも大きな希望だ
父の病気
・父、倒れる(父54歳)
父と厚岸・霧多布ドライブをした日の9日後、5月29日朝、母から連絡があった。
父が職場で体調不良となり、救急車で病院に運ばれたとのこと。
職場の人の話によると、本人が気分不快を訴えて横になった後、大きないびきをかき始めたという。
父は単身赴任で帯広勤務なので、母と妹夫婦が急遽帯広に向かった。釧路からは車で約2時間半。

・1回目の手術
午後、妹から連絡。診断は脳幹出血で、本人の意識はない。当初の診断の予想より出血が広がって、脳室に出血してしまい急性の水頭症(脳室が広がり脳圧が上がってしまう)になったため、急遽手術をすることになったという。脳室の血液を排出するため、頭から脳室に管を入れる、それほど難しくはない手術。
一晩、とても怖く、時間が過ぎるのが長く感じられた。

・帯広へ
翌日30日の朝の便で帯広へ。病院に行くと父はICUに入っていた。会う前から色々な管が体に付いていることは想像して覚悟していたけど、「これがついこの前まで歩いていたお父さんだろうか。」と衝撃を受けずにはいられなかった。家族・親類は皆、同じだったと思う。
状態は四肢麻痺、舌が落ちているので口から管を入れて、自発呼吸をしていた。まぶたが微かに開いているけど、眼球はぴくりとも動かない。たまに大きく肩で息をしたり、足がびくっと動いたりする。
そのまま1週間、病院に寝泊りした。

・2回目の手術
6月2日(金)に手術をすることに。前日、担当医からの説明で、脳室に出て固まってしまった血腫を、開頭手術によって除去したいと。頭に入れてる管から薬を入れて溶かしてはいるが、時間もかかり感染症の可能性も高くなりやすいとのこと。

母・妹と3人で悩みまくった。まず脳に関して何もわからないので、医者の話を踏み込んで理解するのが大変。また、開頭することのリスクもあるし、手術をしたからと言ってどのくらい治療期間が短くなるかもはっきりとわからなかった。
3人であれやこれやと頭を振り絞って考え、話し合い、何を選んでも納得した上で決断し、結果に後悔しないようにしよう、と決めた。
医者や看護士さんともう一度話し、管による治療が1ヶ月から2、3日に短縮できる、とのことなので、手術を受けることにした。

手術の開始は予定より2時間遅れて、12時頃から。夕方になってICUに電話するともう終わっていた。夜に術後の説明。「血腫は半分とれた。頭蓋骨と小脳の一部を削った(!)が問題はない。管は様子を見ながら外す。」後悔しない、と決めたくせに、もう早不安に陥る私。。。

・ケースワーカーに相談
数日間は先のことが見えず、何をどうしたらいいのかわからない状態だった。5日、母と一緒にケースワーカーさんの話を聞きに。「こういう状態の患者さんの家族は、最初からあれもこれもと今はしなくていい事まで心配してしまう。まずは今しなくてはならないこと、数ヵ月後にすること、を整理してみましょう。」なるほど・・・。まずは当面の医療費、本人の傷病手当の仕組みなどを聞いた。
ICUは高額だし、手術も既に2回。最初は医療費の心配もあったけど、高額医療費で後々返ってくるし、貸付制度もあると知る。不安なのは、何も知らないから不安なんだなー。こうして一つ一つやっていくしかない。

・3回目の手術
倒れてから8日後に、家族は釧路に戻った。緊急な状態は脱して家族の付き添いも必要ないので。本人の状態は、呼びかけに応じることはなく植物状態で、水頭症も解消していなく、たまに38度くらいの熱がある。
6月27日(火)に、気管切開の手術を受けることになった。喉に穴を開けて気管カニューレという管を入れ、そこから呼吸をする。この手術によって声は出なくなり、常時介護が必要となる。(現状で既にその状態だけど・・・)30分くらいで終わり、一般病棟に移った。
同時に水頭症を解消するためのシャント手術の話もあったが、緊急性がないこと、リスクを考えて見送ることにした。

・今後
家族としては、早く帯広から釧路の病院に転院したいが、本人の状態・治療などの事情により、約1ヵ月半たった今も帯広の病院に入院中。
4日前にようやく釧路の病院に紹介状を持って行き、現在は病院側で転院できるかどうか検討中。
帯広へは、毎週日曜日に行って面会している。
地元放浪 その4
【2006年5月20日(土)】
午前中、父が「今日は天気良いから、どこか行くぞー。」と言い出した。私もそれを期待してたところがある。私が実家を出て一人暮らしを始めてから、帰省すると好きなタンチョウを観にドライブに連れて行ってくれるようになった。

そんなわけで、二人で厚岸(アッケシ)方面へドライブデート。
まずは、道東の桜名所の一つ、厚岸の国泰寺へ。ちょうど満開できれいだった。手前の桜は樹齢160年を超えるらしい!
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北海道にしては珍しく、とても古くて歴史がありそうなお寺。すごい古い門と、それについていた紋。
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次に岬へ。一応地元では有名かな?愛冠岬(アイカップみさき)。
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岬と言って、必ずあると言っていい定番は何ですか??
やっぱ・・・鐘だよね!!
・・・ぽつーーーん・・ ※父撮影。(そこまで遠目にしなくても・・)
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ちまたで言われるように、「愛とロマンの岬」かは、父と一緒だったのと、私たち二人の他に誰もいなくて寂しかったので、実感はできませんでしたが、原生林があったり、雄大な海と自然を感じられた。

私の最大の目的は、もちろん、牡蠣!!
厚岸と言えばカキなのです。小さい時からカキ大好き!!
で、この岬近くの駐車場でゲットしたものは・・・
カキアイス
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カキがごろっと入っていると思うでしょ?さすがにそれは・・・。カキエキスが入ってるんだそうな。
味は、そうだねぇ・・・とってもまろやかでミルキーというか。あー、アイスは最初からミルキーか・・・。普通のアイスのまろやかさを2倍にしたような感じ!?この後、名物お菓子、かき最中も買いました。かきづくし。

そこから、父とおいしいもの談義が始まる。そして出た!お決まりの台詞。
「あんたは本当にお父さんと味覚が一緒なんだなぁ~。」
父は、いつも私に会う度に言う。
そして私もいつも「うん、そうだよ。」と答える。何度も繰り返す、二人のお決まりの挨拶みたいなもん。
小さいときから、父の酒のつまみを横から取って、おやつ代わりに食べていた。コマイの干物とか、トバとか、刺身などなど(じじくせー)。いばることではないけど、これが私が「おやじくさい」と言われる所以なのさー。

岬から戻ってくるときに見えた厚岸の町。水に囲まれてる漁業の町。
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実は私は知っていた!この日、ちょうど厚岸かき祭りをやってることを!!車で通り過ぎようとしたとき、「行きたいな~」と言い、寄ってもらった。
小さいときに、父の職場のレクレーションなどで来た。カキや魚介類がわんさか食べられるお祭り。ここまで来たら焼きがきを食べずにいられるか!!ちょうど桜も咲いていてきれい。

ちょっとだけがっかりなのは、屋台はガスバーナーでカキをあぶるんだよね・・・。炭火で焼いて、ぱかっと開いたところを熱々で食べるのが一番なんだけど・・・
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屋台のテントに入って待つこと数分。きたよ~~~~(泣)
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ぱかー
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じゅーしー、ぱくーー、う、うまい・・・
父が頼んだつぶ貝も食べて、満足満足♪

その後、あやめヶ原というところに行ったけど、あやめの季節よりまだ早く・・・
霧多布(キリタップ)湿原に行ったけど、エゾカンゾウ(黄色い花)の季節よりまだ早く・・・

最後に行ったのは、霧多布岬。ぽつーーーん。やはり私たちしかいない。
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父は3箇所の景観ポイントに連れて行ってくれた。
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向こうの岬に風車がある。
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おいしいものを食べ、無人で雄大な景色を見、良い1日でした。
この翌日、私は両親と妹夫婦に空港で見送られ、自宅に戻ったのでした。
地元放浪 その3
【2006年5月19日(金)】
この日は、帯広に単身赴任している父も帰宅した。母と三人で親戚宅に行き、その後、前日に開花宣言となった市内の桜を見に行こうツアーを決行。ここではゴールデンウィークが過ぎてからが桜の時期。

前回も書いたように、日本で一番遅い開花宣言だった。今年はバンクーバーで桜を見て、関東でも咲き遅れた桜を見て(たぶん、見たはず・・)、地元で日本一遅い桜を見るという。。。そんなに見たんだなぁと、ちょっと感慨深い。

思い出深き、鶴ヶ岱公園。小中学生の頃、ここにある武道館に剣道の練習や試合をしに来ていた。あと小さい頃に行ったチューリップフェア ここには桜開花日の基準木があるそうな。
気持ちよく晴れた春の青空の下ではなく、霧の中の桜・・・これぞ霧の街釧路!! 
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うすいピンクの桜が、さらにぼんやりと霧の中に佇む。趣きあるでしょ?
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NHK釧路も取材に来ていて、この日の夕方はこの公園から中継していたよ。

この後、ふと母校の小学校の桜はどうなっているかなぁ?と思い、お父さんに行ってもらった。確か6年生の時に創立35周年記念で、校庭脇に桜を何本も植樹していた。寒さが厳しく春も遅いこの地では、その後数年、その桜たちもあまり成長しているとは言えず、折れたりもして、かわいそうだった記憶がある。
ああ~、これかぁ・・・もう18年?がんばってここまでなったんだねぇー。
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去年、35周年記念の当時に埋めた「タイムカプセル」を取り出して、卒業生に返還したらしい。(実は「埋めた」というのは建前で、倉庫に保管されてただけ)
私はカナダにいて行けなかったけど、妹が取りに行ってくれたその内容は「絵」「自分の名札」「手作りの新聞」だった。
思いがけず、クレストンで触れ合った小学生の子どもたちと同じ年の自分を見た気がして、恥ずかしいながらも不思議なような。

この小学校も今年度限りで他校と合併して、新しい名前になると後から聞いた。そう聞くと寂しい・・・時代の流れを感じる。(しみじみ)

しつこいけど、その4につづくー。
地元放浪 その2
こんにちは。
1ヶ月以上、ごぶさたでした。みんな元気!?

5月末から引き続き、北海道の実家にいます。
ずっとブログを書こう書かなきゃと思っていて、中々書く気が起こらずにいました。
でも、今書かなきゃ再開することもできなくなるんじゃないかと思って・・・。

父の容態や今の生活については、後々に書くことにして、
まずは、1ヶ月前にUPしたかった「一度目の帰省」について
書きたいと思います。お付き合いしてもらえるとうれしい

【2006年5月18日(木)】
この日、お母さんと叔母さんとドライブに出かけた。市内ホテルでのランチ券を叔母さんがくれたので、一緒に食べに行こうという話になり、さらに釧路周辺でお花がきれいな所に連れて行ってくれることになった。

午前中に行ったのは村田公園。元々は個人の私有地だった広い敷地を、現在は公園として市が管理しているらしい。少し全盛期は過ぎていたものの、水芭蕉の群生が見られた。
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突然ですが、谷地坊主って知ってます?やちぼうず。湿原等でスゲが密生してできるこんもりとした、どことなく愛嬌のある物体なんですが、今回の放浪は、このやちぼうずの旅と言ってもいい。車で走っていると、何百個?何千個と野原に群生しているのが目に入った。小さな頃に見慣れていたはずの風景を、ほえ~~と感心しながら眺める。
わかるかな?中央の茶色のこんもりとした株が緑の帽子をかぶったかのようになっている、これです。これがワンサカいる。これは小さいけど、やたら巨大化したのもあるんだよー。
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ん?なんかこの花、クレストンでも見たことあるような・・・。オオバナノエンレイソウという名前のようです。
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山の斜面には桜もうっすらと咲いている・・・もう5月も半ば。今年は日本で一番最後に桜前線が、ここ釧路を通過したらしいよ。
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野山の花々を堪能したところで、この公園では大変エキサイティングなイベントを体験できるという話を聞く。
すると、そこにいたご夫婦が手を差し出すと、野鳥が次々と手にとまっている!!うらやましげに眺めていると、ご夫婦がひまわりの種をごっそりくれた。

種を手のひらに置いて、差し出すと・・・来るわ来るわ!!
小さい鳥が次々と!
これは調べてみると、たぶんゴジュウカラ
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これはたぶん・・・コガラだろうか・・・わからない。
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市内に戻って昼食後、今度は標茶→厚岸へとドライブ。そこにとても可愛らしい喫茶店があるという。
「夢風舎」というとても温かい雰囲気の喫茶店。
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窓から見える広い牧草地と馬。ワッフルやアイスもすごくおいしかった。
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木で作られた音楽隊!?かわいい。
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こちらに来ることがあったら行ってみてね。穴場だと思うよ。
その3につづく!
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