小さな町へ
2005年4月から1年間カナダのクレストンという町で1年間過ごし、2006年4月に帰国。 クレストンでの生活、帰国後の生活など。
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お礼
ごぶさたしております。3週間以上ぶりの更新となってしまいました。

実は、去る8月5日、入院中の父の容態が急変し、そのまま息を吹き返すことなく、他界いたしました。行年55歳でした。

5月29日に父が倒れて入院してから、様々な形で励まして下さったみなさまに心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

前回、ブログの記事を書いたのが8月4日の夜10時半頃。その、たった4時間後の5日午前2時半、電話が鳴った。容態が急変したとの病院からの連絡だった。病室で1時間近くに及ぶ心臓マッサージも実らず、家族に見送られて最後を迎えました。
釧路の病院に転院してから5日目のことで、「これからだ」と、長引くことを覚悟していた家族にとっては、本当に突然のことでした。私たちに介護もさせず、「もういいよ。」とでも言うように亡くなった父。生まれ育った釧路に帰るために、帯広の病院で2ヶ月も頑張ってたのかもしれない。そして、最後に父が釧路の空気が吸えてよかったと、心から思っています。

本当は、こうやって文章にするのは、やっぱりちょっと怖かった。今はだいぶ日常生活に戻りつつあって、でもこうして振り返って書くことで、感情が高ぶってやっぱり今も涙が出てしまう。

それでも、不思議な幸福感みたいなものが、自分の中にあります。父の死に立ち会わせてくれたこと。一歩間違って、カナダに行った時期がずれたり長引いたりしたら、私は何にも立ち会えなかった。
倒れる前に一緒に時間を過ごせたこと。目を開けて家族を見たこと。亡くなる2日前に、二人きりで時間を過ごせたこと。亡くなった日の夜、長い時間いつものように晩酌をして話をしたこと。
不思議なことに、いないことが日が経つごとに信じられなくなる。どこにいるのか、と。

今はいつもの毎日に戻って、家族共々元気にやってますので、あまり心配しないでくだされ・・。四十九日の9月22日まで、実家にいる予定です。

ブログも、また身近な小さいネタでぼちぼち更新していくつもりですので、よろしく。ではまた!
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帯広への道 番外編
月曜日、父が帯広から釧路の病院に無事転院することができました。朝早くに実家を出発。12,3度くらいだったのかな。寒い寒い言って家を出た。帯広からの2時間20分の行程、特に何の問題もなくすんなりと釧路に到着。
そこで看護士さんの説明を聞いたのですが、これまたすごいしゃべること・・・。何でもがんがん聞いて!って太っ腹な感じ。ただ、前の病院での対応を「普通はこういうことしないんだけどね・・・」と私たちに言われても。。。それぞれの病院でやり方はあると思うんだけどね・・・

さて、得意の番外編ということで、父が倒れた直後に撮った写真をUPしてみようかな。

もう2ヶ月前になる。帯広手前に豊頃(とよころ)という町がある。そこには「ハルニレの木」と言って、ちょっと有名な場所があります。
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川沿いのだだっ広い所に、大きな木がポツンポツンと二つ立ってる。ただそれだけなんだけど。北海道らしい風景として町もアピールしていて、ツーリングの人達や観光客が訪れる「穴場」みたいです。
でかいっしょー
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帯広名物、豚丼。市内を走っているとあちこちに豚丼ののぼりが目に入る。特徴は、すっごい黒い。肉はかりっとしてて、ソースはちょっと苦味がある。いや、こげただけじゃないから・・・そういうもんらしいです。
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これは7月上旬のじゃがいも畑。ほんわりとした紫色の花に覆われる。
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おまけ。6月上旬の実家前。
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おまけのおまけ。今日は虹が出た♪
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帯広への道
こんにちは。釧路もたまに25度くらいの暑い日がありますが、昨日と今日は18,9度くらいで過ごしやすいです。本州はくそ暑いんでしょうねぇ・・・

木曜日に帯広行ったら30度くらいで暑かったー。釧路と帯広では10度近く最高気温が違ったりします。その暑さのせいで、お父さんはちょっとばて気味なのか眠ってた。声をかけたらうっすらと目を開けたけど「お前らか」というような感じで、また眠りについてました。音楽でも聴かせてあげようかと思ったけど、その日はやめておいた。

その前の日曜日には、前よりもさらに良くなってるようだった。まぶたも以前より大きく開くようになって、私たちが近くに寄れば目を大きく開け、足元に行くと目線を下にする。声も聞こえて認識できているのか、目の前にデジカメの液晶画面を見せて、画像を見せながら説明してると、じっと見つめてた。なんとなく穏やかな表情だった気がする。

さらに、父の職場の組合から、千羽鶴が贈られていた。それも目の前に置いて見せてあげると、じっと見つめていた。たぶんわかって喜んでいたと思う。
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もう何度も往復している帯広への道。途中の白糠付近の海辺です。
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ここには、野の花が咲いている。先々週はエゾキスゲ。オレンジ色のユリの形に似た花が固まって咲いてた。
先週は深い紫のアヤメ
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帯広近くの農場風景。これがずっと続く。
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ひまわり畑。
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北海道らしい、まっすぐの道。
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明日はいよいよ転院の日!
転院決定!
ようやく父の転院日が決定しました!
7月31日(月)11時です。
入院してから約2ヶ月、地元釧路に帰ってこられます。

転院までの流れ:(長いですよ)

・入院当初、家族としてはできれば早くに釧路の病院に移送したかった。でも、本人が急性期で加療最中、移送距離も長いことから、医者の判断ではこの時期の移送は危険とのこと。許可が出るまで待つことに。

・1ヶ月間はソーシャルワーカーにたまに相談したり、周囲の人にどこの病院がいいか聞いたりしていた。この時に、病院によっては受け入れを拒否されたり、3ヶ月で退院を要求され転院を繰り返したりする実際の話を聞いて知った。

・6/26、ソーシャルワーカーが、家族が希望していた釧路のA病院に問い合わせてくれた結果、「急性期ではない(治療がない)状態であれば、A病院ではなく、B病院に入院ということになる。」と回答だったとのこと。
A病院は急性期の脳外科治療が中心、B病院は脳外科はあるがリハビリ中心で、老人保健施設とも併設している。家族としては、母もA病院にかかっているしB病院よりも近所にあるのでAが良かったのだけど、仕方ない。一応、他の病院とも吟味して考え、B病院への紹介状作成をソーシャルワーカーにお願いした。また紹介状が出来たらどのような段取りで手続きすればいいかも、B病院と話してくれるとのこと。
医師には、本人の状態は気管切開手術(6/27)後はいつでも転院可能と言われる。

・7/10、ようやくB病院のソーシャルワーカーと面会の約束がとれ、紹介状を持って行った。
病状の確認、職種や健康保険、今後受けられる手当て、家族構成や職種などを質問される。(きちんと医療費が払えるか、面会や世話ができるかの確認か?)
予想はしてたけど、「入院期間は基本的に1~3ヶ月。ずっとここに入院できるということは言えない。ただ次の受け入れ先が無いのに、急に追い出すということはありません。療養型の病院を紹介することになる。」と言われる。「では療養型の病院はどこですか?」と聞くと、釧路の療養型病院のリストをくれた。・・・まだこのB病院への入院すらしていないのに、次の転院先の話をすることになるとは・・・。でも現実は現実。今から考えられることは考えて準備しておかなきゃ。
最終的に入院の決定は医師がする、とのこと。決定したら早くても次週、遅くても7月末までには転院可能であるらしい。帯広の病院のソーシャルワーカーと連絡を取り合って、日程を調整するとのこと。

ちなみに、なぜ入院期間が3ヶ月なのかは、詳しくは調べてないけど、診療報酬の関係があるみたい。3ヶ月以降は国からの診療報酬額を減らされるので、病院としては収入が減ると聞いた。社会的入院や療養型病床数を減らすための制度でしょうか。

・昨日7/25、帯広の病院のソーシャルワーカから電話で、転院日が7/31に決定したと連絡。
入院当初は医師に「救急車で移送」と言われていたけど、改めて確認したら「現在は酸素吸入も外れているので、救急車ではなく、民間の寝台車で大丈夫。」だという。但し、定期的に痰を吸引する必要があるので、看護士1名の付添いが必要。この看護士さんの帰りの電車代を支払う。
民間の寝台車・・・そんなのがあるのね。帯広のタクシー会社を2社紹介してくれた。早速1社に連絡し、予約を取る。この時面白かったのが、最初出たおじさんが「31日、う~んちょっと待って・・・」としぶり気味だったのが、「目的地は釧路」と伝えると、急に色めきたって違う女性に代わって予約取り始めたこと。こりゃおいしい!ってところか?商売っ気が手に取るようにわかって苦笑。
料金は、メーター+1000円(ヘルパー、車両代)。メーターは多く見積もって4万5千円くらいだそう。ストレッチャーで病室まで迎えに来てくれる。家族は一人は車内付き添いで、あとは車で追走する。

当日は、朝早めに母と妹と帯広に向かいます。明日午後も妹と二人で帯広に行くことにしました。
ではまた。
目が動いた!
びっくりです。
昨日、病院に面会に行ったら、父のまぶたがいつもより開いている。
半分くらいかなぁ、黒目がほぼ見えるくらい。
そして、眼球がぴくぴくと上下に動いている!!

今までは目もほとんど開いてなかったので、家族一同みんなびっくり。
明確ではないけど、話しかけると一層目が動いている気もした。

今まで常についていた血圧や心拍数などのモニターも外れていたし、気管の管についてた酸素吸入も外れてた・・・。
お風呂に入れてもらったり、手足をストレッチのようにしてリハビリしてもらってるのが良いのかもしれない。あと、親戚が遠くから来たり、会社の同僚が来て話しかけてくれるのがいいのかもしれない。

先週の状態を考えたらすごい進歩だ~。本当に少しずつだけど良くなってきてるんだなぁ。それだけでも大きな希望だ
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